1595年8月2日
仕返しを恐れた秀吉は
側室・乳母・子ら全員を京都三条河原で処刑しました。
その中には数日前に輿入りした駒姫も含まれていました。
実父・一路浄閑は讃岐(香川県)へ流罪、母ともは尼になり、1595年京都の村雲に瑞龍寺を建て、一族を弔いました。