1594年4月
秀吉と淀殿の間に拾ひろい(秀頼)が生まれました。
秀吉はわが子をかわいがるあまり、秀次に関白を譲ったことを悔い始めます。
秀吉の秀次に対する態度が目に見えて変わっていきました。
この頃、秀次は「謡曲古抄」の編集をはじめます。
そして、秀次の末弟、秀保が病気を苦にして亡くなります。